魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉―テーマを完遂するための作品―

概要

魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉を見たので感想を記載する。
実は魔法少女まどか☆マギカは長らく好きだった作品で、下記を視聴している。
映像作品: TV版、総集編、叛逆の物語
書籍: 魔法少女まどか☆マギカ 〜The different story〜、魔法少女おりこ☆マギカ
ゲーム: 魔法少女まどか☆マギカ オンライン、魔法少女まどか☆マギカ ポータブル、マギアレコード (第一部)

感想のまとめ

前作「叛逆の物語」が続編を前提に意図的な「歪み」を残す構造を採っていたのに対し、本作「ワルプルギスの廻天」はそのテーマを完遂するために作られた作品だった。
前作から13年もの年月を経ての公開だったため、もっと早く観たかったという思いもあるが、長年の願いがようやく叶った作品に出会えた。

以下ネタバレ注意

感想

当初は既存キャラや新キャラ、演出、音楽についても触れるつもりだったが、分量が膨らむため、本記事ではテーマ面に絞って記載した。


[TV版―魔法少女の物語を美しく収束させた構造―]
TV版では、魔法少女がそれぞれの役割を演じ、最後にまどかの願いによって「魔法少女が救われる世界」が実現する構造を持つ。具体的には下記の役割分担がある。
1-巴マミが魔法少女の世界へ誘う役割を担う
2-美樹さやかと佐倉杏子が魔法少女の生涯を示す
3-暁美ほむらのループを通じてシステムの全容を明らかにする
4-鹿目まどかが魔法少女の宿命を理解したうえで願いを叶え、魔法少女を救済する
すべての要素に明確な意味が与えられ、伏線や音楽、映像表現が一体となって高い完成度を作り上げている。TV版の結末は、これしかないという着地点を示している。
余談となるが劇場版の「始まりの物語」と「永遠の物語」は、このTV版を元に作成されている。


[叛逆の物語―あえて歪みを残した構造―]
叛逆の物語は、TV版の構造を踏襲しつつ、ラストでそれを裏切る形で終わる。
魔女化したほむらは仲間に救われ、円環の理に導かれてまどかと再会する流れを最後にひっくり返す。ほむらはまどかを円環の理から切り離し、悪魔の力で世界を書き換えてしまう。表面的にはほむらの愛が勝利したように見えるが、そこには多くの歪みがのこされている。
・ほむらの決断が、魔法少女の記憶を失ったまどかの発言を根拠にしている点
・「まどかを守れる自分になりたい」というほむら自身の願いに引きずられ、守る必要がないまどかを守るための理由を探してしまった点
・まどかの歩んできた道と意思を否定する結末になっている点
・ツギハギだらけで不安定な世界が残り、まどかの記憶が戻るリスクを抱えている点
・誰にも理解されず、孤独に世界を維持するほむらの存在
・ほむらがまどかへの執着から解放されない点
これらの要素は物語を完結させるには不安定であり、続編を必要とする状態だった。綺麗に完結したTV版に対して、続編を作るための新作といった立ち位置になっている。


[ワルプルギスの廻天―叛逆のテーマを完遂した作品―]
本作は、叛逆で残された歪みを解消し、物語を着地させるための作品だったと感じた。以下にいくつかのポイントを整理する。

1-ほむらとまどかの決断
本作はTV版の「最後にまどかが決断する」という構造を踏襲しつつ、異なる状況で描いている。ほむらは自分のエゴを自覚したうえでまどかを守ろうとし、まどかは円環の理と切り離されても魔法少女を助けようとする。二人の道は一致しないが、互いの思いを理解したうえでの決断が描かれている点が重要である。

2-ほむらの孤独の解消
ほむらが抱えていた孤独は、誰にも共有できない情報によるものだった。TV版では時間遡行による孤立、叛逆では世界で唯一、鹿目まどかを覚えている存在としての孤独が描かれている。いずれもまどかが大きな要素を占めるため、ほむらのまどかへの執着が強固なものとなっている。
本作ではほむらの歩みや想いが共有される場面があり、孤独の原因が解消された。叛逆で手放してしまった理解者を再び、そしてより強固な形で得たことで、ほむらは仲間の助けによって本当の願いに向き合うことができるようになった。

3-ほむらが抱えすぎた役割からの解放
叛逆で世界の再構築に成功した代償として、ほむらは世界の維持に関わる負荷を独りで背負っていた。
・街中へ放った「目」による見滝原の監視
・トカゲさん電話による魔法少女の発生予防
・トカゲさん電話による魔法少女候補のメンタルケア
・トカゲさん電話による魔法少女の負担軽減
・美樹さやかの記憶が戻らないための警戒 (記憶処理をしている可能性あり)
・まどかへの徹底的なケア(マルグリート関連の検閲など)
ほむらは本質的に優しい性格なので、まどかだけでなく、マミ・さやか・杏子といった魔法少女たち、さらには魔法少女候補にまで気を配りながら、ツギハギだらけの世界を維持する生活を送っている。これが彼女の理想ならまだ救いはあったが、叛逆では深層心理でピュエラ・マギ・ホーリー・クインテットのような日々を求め、本作でも多くの隠し事をしながら振舞わなければならない。心から欲した未来とはズレた状態だっただろう。
本作では、ほむらが抱えてしまったそれらの役割が解消され、「まどかに執着して世界を維持する存在」ではなく「自分の人生を生きる存在」へと変わる可能性が示された。
最後の安らかな寝顔は、ほむらの物語に一つの区切りがついたことを象徴していた。

4-まどかの役割の再定義
新キャラによって、まどかの優しさと意義、円環の理の限界がより深く描かれていた。まどかと似た願いを持ち、鹿目まどかに救われたワス、円環の理というシステムではなく、鹿目まどか個人に救われた紫丁香、円環の理では救えないセルマ。これらの立場が示されたことで、まどかの優しさが確かに魔法少女を救っていること、そしてシステムだけでは不十分であることが明確に示された。さらに、円環の理が抱える限界を示すことで、今後新たなシナリオを描く余地も示されている。

5-まどかの選択と物語の結末
まどかは終盤で円環の理と対話をしている。
円環の理に戻るのか、別の形で仲間を見守るのか、見滝原の日常を取り戻すのか。その選択は明示されなかったが、どの選択肢でも語るべきところは語り終えていて、「魔法少女まどか☆マギカ」として自然な着地点に思える。
まどかが見滝原を去る場合は、ほむらがまどかへの執着から解放され、自分の人生を生きることが強調される。その場合は、今回の終わり方で含みをもたせる形が美しく優しい結末だろう。EDの足跡で描かれた演出からも、個人的にはこの結末を暗示している印象を受けた。
見滝原の日常を取り戻す場合は、続編にしても良いし、続編にしなくても期待できる余韻を残すこの結末も悪くない形だろう。
続編を作っても良いし、作らなくても良い。そんな余韻と含みを巧みに調整した終わらせ方だった。