シラノ・ド・ベルジュラック (宝塚) 感想
―キャストは良いのに脚本があまりにも―

概要


原作はフランスの劇作家であるロスタンによる戯曲で、大野拓史先生による脚本・演出。
シラノ・ド・ベルジュラックは理学者にして詩人、剣客、音楽家と多才だが、大きすぎる鼻のせいで従妹ロクサーヌへの恋心を隠している。そのロクサーヌは、美男のクリスチャンに想いを寄せていることをシラノに告げる。シラノは二人のために尽くそうとするが、クリスチャンに弁舌の才がないことを知る。ロクサーヌがこのことを知ったら、彼に幻滅してしまう。
その時、シラノはあることを思いつく。弁舌に恵まれたが容姿に恵まれなかったシラノと、容姿に恵まれたが弁舌に恵まれなかったクリスチャン。二人が手を組めば、ロクサーヌへの想いが届くかもしれない。シラノはクリスチャンに、自分の弁舌を使ってロクサーヌへの想いを伝えることを提案する。

感想のまとめ


原作の良さを根こそぎ奪われた脚本を、轟さんと星組さんの演技で成立させている作品。熱演ぶりとカリスマで成り立たせている轟さんのシラノ、終盤の演技と歌が特に素敵な小桜さんのロクサーヌ、表情に感情を乗せる演技が後半で光る瀬央さんのクリスチャン、前半と後半の演じ分けが完璧な天寿さんのギッシュ伯爵が特に凄い。1シーンでも印象に残る紫月さんの侍女や澪乃さんのリイズなど、娘役の層の厚さが印象的。
ネックは脚本・演出で、再演するなら別の先生の手で作り直してほしい。発表された日から楽しみにしていた作品だったので、今まで見てきた中で一番ショックな公演だった。

 

以下ネタバレ注意

感想


原作は何回も読んだ愛読書なので、それを前提にした感想。原作を知らないと少し印象がよくなったかもしれない。

【全体】

  • 轟さん、星組さんの演技がすごい
    脚本のせいで原作以上に見せ方が難しくなったこの作品。それでも作品を成立させているのは間違いなく演技力。僅かなシーンでその弁舌を発揮する轟さんのシラノ、修道院で年月の経過と手紙の価値を仕草や表情で表現する小桜さんのロクサーヌ、バルコニー以降表情の演技がとても良い瀬央さん、伯爵として見せる哀愁が最高な天寿さん、お菓子に夢中な紫月さんの侍女、他のメンバーの演技も随所で光っている。

  • バルコニーの前半がとても良い
    バシラノとロクサーヌの幸せそうな表情と声色とクリスチャンの焦り。二人の声色と三人の表情がとても素敵で、三人の演技がとても良かった。

  • 修道院のシーンでの演技が良い
    シラノを思い返すギッシュが見せる哀愁、7年前の手紙を読むシラノと真相に気づくロクサーヌの表情の変わり方がとても良い。そこからクライマックスへの突き進んでいくシラノの勇ましさが感動的。

  • シラノの鼻がとても自然
    シラノのトレードマークはあの大きな鼻。これがとても自然で、かつ宝塚らしい美しさを失わない絶妙なバランス。この鼻を作成したスタッフは会心の仕事ぶりだと思った。

  • ロクサーヌの歌が良い
    比較的歌の少ない公演だったが、小桜さんの歌がとても良い。ソロでは聞き応え十分な綺麗さで、デュエットでは寄り添うように響いていてとても良かった。

  • 脚本・演出が酷すぎる
    普通に上演すれば大作になったはずなのに、脚本・演出がぶち壊している。轟さんや星組さんが熱演しているだけに、テーマすら崩壊している脚本が口惜しくてならない。この公演を観てこの作品を見限らないで欲しいし、この公演を少しでも良いと思ったら原作か映画版を見てほしいと思う出来栄え。他を下げた分誰かが得をすればまだマシだが、誰も得をしないアレンジばかりなのが絶望的。なぜそれほど長編でもないこの大作で、こんな事態になったのかがわからない。

    ・劇場のシーンでシラノが鼻についてたったの2,3個しか表現しない。これでは1個しか言えない子爵と大差ない弁舌の上に、シラノの鼻へのこだわりが伝わってこない。

    ・ル・ブレに物売りの娘がシラノにぞっこんじゃないかと言わせている。恋を諦めているシラノに、ロクサーヌ以外ならいくらでも恋ができそうと印象づいてしまう。

    ・リーズの不倫にシラノが何故か言及しない。

    ・ロクサーヌに呼び出されたシラノが好意を表情に出しすぎ。笑いを取りに行くシーンでもないし、シラノの秘めた恋が全然秘められない上にロクサーヌまで馬鹿っぽく見える。

    ・シラノがクリスチャンのヤジを躱せない。苛立ちながらも躱していかないと、シラノの株が下がる。

    ・ロクサーヌがギッシュ伯爵を嫌う態度を表に出しすぎ。シラノとクリスチャンが独りでは届かないような、才色兼備にはとても見えない。

    ・手紙のやり取りを端折りすぎ。これだとクリスチャンのうんざり感が出にくい (瀬央さんの演技がとても良くある程度カバーしているのが凄い!)。

    ・バルコニーで「口づけを!」のフォローがまさかのダンス。それで大丈夫ならクリスチャンは絶望しないだろう。

    ・月旅行は皆で歌うシーンに変更。シラノの発案という設定にして見せ場を作る意図だろうが、シラノがうまく喋って引き込む形ではないのでシラノの弁舌が引き立たないし、ロクサーヌと密会するために必死なはずのギッシュが気軽に付き合う間抜けになっている。

    ・ギッシュが戦列に残る決意をするのがクリスチャンの死後に変更。ガスコンが食事を見せるシーンを削った意図が見えないし、これだと単に逃げ遅れただけ。

    ・修道院のシーンでシラノの作品が盗まれていない。自身の言葉が他人の手によって喝采を受ける。そんな影法師のようなシラノの人生が表現できない上に、ラグノオたちのセリフまで減っている (といってもこれまでの積み重ねを出せていないので、この公演でシラノに影法師のような印象は抱けないが)。
    今考えるとシラノの人生を象徴するこのシーンがない事はありえないから、見落としていたかもしれない。その場合は大野先生ごめんなさい。

【個別】

  • シラノ (轟さん)
    話す姿とカリスマに溢れた立ち振舞いはまさにシラノ。鼻もとても似合っていて素敵だった。シラノの根幹となる要素を尽く削られている中でも、シラノのカリスマ、弁舌、そして生き様を見せてくれるのは流石。バルコニーで見せた幸せそうな表情と、修道院での勇ましさがとても素敵。歌の調子があまり良くなかった印象で、余計にシラノの弁舌を発揮するのに苦労していた気がする。

  • ロクサーヌ (小桜さん)
    本公演のMVP。愛おしそうに手紙を見る目、修道院での年月を感じさせる演技、手紙の真相に気づいた時の表情と演技がとても素敵だった。歌もとても上手で、よき響くソロとシラノ/クリスチャンに寄り添うようなデュエットがとても良かった。デュエットダンスでは小さな振り付けを綺麗に美しく見せていて、演技・歌・ダンスのすべてが良かった。脚本が良ければ、きっと才知ある姿も見事に演じただろう。今後も楽しみ!

  • クリスチャン (瀬央さん)
    難しい役を見事に演じていた。バルコニーでの不安と焦燥感に駆られた表情、ロクサーヌの愛が自分から離れたことを知った時の絶望に満ちた表情と、感情を表情に乗せる演技がとても素敵。ロクサーヌに届かない苦悩と絶望が似合うクリスチャンだった。フィナーレで中心に立って踊る姿もとても格好良かった。

  • ド・ギッシュ伯爵 (天寿さん)

    脚本のせいで (無駄に) 難しい役になっていたけれど、演じ方が凄かった。最初はコミカルな動きで三枚目的の悪役ムーブ、後半は哀愁を感じさせる大人の演技で変化がとても素敵。伯爵としての威厳とその重々しさ、決断に後悔はないけれどシラノへの羨望を感じさせる寂しげな表情がとても良い。

  • ル・ブレ (美稀さん)
    シラノの友人として、落ち着いていて懐の広さを感じさせる演技がとても良かった。シラノと旧知の間柄であることがすぐわかる間のとり方や雰囲気が良かった。落ち着いた演技で舞台を引き締めていて、ギターを奏でるシーンも素敵。

  • ロクサーヌの侍女 (紫月さん)
    出番は少ないけれど印象的。シラノからラグノオのお菓子を詰めてもらうシーンで、本当に欲しがっている様子が可愛いのと、あれなら食べ終えるまで絶対戻らないだろうという感じで良かった。

  • ラグノオ (極美さん)
    格好良すぎるせいか、原作よりも芸術家志向なパティシエ。「上出来でーす」の優しい言い方が印象的で、お店が詩人たちのたまり場になることも納得の役作り。歌の見せ場も多いなかで安定していて、美味しい役を見事に演じていたと思う。良かっただけに、脚本に省かれた盗作に憤るラグノオを見たかった……。